熟年世代の情報発信
自分の最後を考察する(1)
このごろ真剣に考えること、
健康寿命を延ばす努力をしてもやはり最後は来る
自分の最後の姿についてだいたい、ほとんどの人が曖昧にとらえているというか
みじめな自分で最後を・・・・・という想像しか思いうかばないのかも
美輪明宏も80歳過ぎているのだろうけれど、なるようになるさで
徹子の部屋で答えていた。
在宅介護支援が行政の方針で介護保険などできたが、在宅で子供たちに自分の仕事、人生よりも
親の介護を望んでいいのだろうか。
 自分の母親は「なんで子供を産んだか」という私の問いに老後のためと答えていた。
みんな少なからずそうなのかもしれない、子供の私はそのとき「アゼン」とした。
 子の幸せよりも自分に奉仕する存在を求めている人だと母親に対して思った。
今や地元では希望する働き口がなく東京にいる息子、派遣や非正規雇用しかない仕事で
自分が食べていくのが精いっぱいの若者が増加している雇用情勢の中で、
例えば「親の残した財産をついでその仕事で生きていく、農家、老舗のソバ屋、」などは特殊で昔のままの道徳は生きるが、会社に工場に働く若者に昔の道徳を求めることは、若者を苦しめるものなっているのではないか、ニュースに、介護放棄、存続殺人など氷山の一角かも
 鳴子の叔父もこの世の鬼はわが娘と言ったそうな。
介護を必要な自分になったら自殺、いまや老後の幸福は夢物語に、いやもともとこの国には無かったのかも、なによりも国民の福祉よりも軍事費、土木建設費、など企業が儲かりさえすれば国民におすそ分けがくるという政治方向はアベノミクスと言われるまえからあった。
市内の土建業者も公共事業がなければ廃業する。だから選挙には大変力を入れる。
今は震災景気だが、その後は不要でもなんでも公共事業を作り出さなければ廃業の憂き目をみるから
 必死だ。

 しかるに自衛策として老後生協とか安い老人ホームを探すとかになるのだけれど
早めに取り掛からないと足が動かなくなるかもしれない。と妄想しています。
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親の立場、子供の気持ち
今日は立春だそうです。 僕が決めたわけではありませんので「だそうです」でいいだろう
今迄の風習でもないのに、コンビニで恵方巻が売られ
店員さんがその売り上げでノルマを押し付けられているというのがニュースに

自分が子供のころは、ずいぶんと親に押し付けられてそれに反発して過ごしていた。
今、親の歳になるとわかることが増えてきた。
「風習」、「習わし」、「当たり前」などをとっぱらって日常生活を、今後の未来を考えたい。
子供は親の老後の介護をしなければいけないのか、私の母親はなぜ私を生んだのかという
問いに「老後のため」と私が中学生のときに言った。「ショック」なぜか受けた

今も「当たり前」として通用
先日、家族全員が集まる機会があったので、「私は家族主義的考えは捨て、個人主義でいこう」
と宣言、
 私は車が運転できなくなる、年齢と不健康になったら年金の範囲内で入れる、「老人ホーム」に
入ることにしたい、残った財産はできれば有償で子供に譲りたい、もしくは売却して今後の生活の
足し(旅行など
  子供も30歳を過ぎれば、対等、得でなければ同居を望まない、それでいいと思う
年金の支給額切実

いままでの年金支給額の計算は物価スライドということだったが、今国会で論議され変えられようとしている。
年金額を国民の平均賃金にスライドさせるというもの
物価は2%引き上げようという政策のもとで、食料品は値上がりしている。が、
非正規労働者が増加し、所得格差がひろがり、国民の平均賃金は
下がる一方、
 介護保険料、住民税が年金から天引きされ、わずかな抵抗もできない
中所得者層を増やし、消費につなげていかないと、大量生産、大量消費の世の中は続かない。
むだが出るのは当然という社会は生産する側にとってはバクチみたいなのだが
今はそれに依存するしかない、
老後の心配より、老人に達している 老達の心配である。


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