亡き親父に聞きたかったこと

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太平洋戦争は真珠湾攻撃から始まったとずーと思っていたし、教わったように思っていたが、
シンガポールやタイなども同時に空爆などしていたことがわかった。

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親父がシンガポールに到着したのは昭和19年とあるから、現地民を5000人(研究者発表は5万人から10万人)虐殺した事件の当事者ではないようだ。

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図書館で探した本であるが、奥のほうに仕舞われていてネット検索で探し当てることができた。
他に 戸川幸夫 著作 「昭南島物語」を借りて読んでいる。 黒沢映画の「羅生門」と同じで、書く人によっても、証言する人によっても同じ事実が違う受け止められ方がされている。
 シンガポール攻略は戦争を勝利へ持っていくためには南方の石油基地がどうしても必要という戦略があったようだ。
今日国会で論議されている安保法案も根っこは同じかも。
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今日は終戦記念日、私の父も21歳で出兵している。


父は几帳面な人で、日記というかポケット手帳にその日のできごとをまめに書く人だった。
父の記録によると。
21歳のときに陸軍工科学校を卒業し、伍長として満州奉天兵器工場に赴任している。
昭和15年3月大連周水分工場、 11月兵技軍曹。。。曹長
昭和18年に広島に昭南島(シンガポール)に行く途中3月から9月までいたと記録している。
19年に昭南島ペナン支店に勤務、兵器准尉となり
20年8月に終戦を迎え、マライ➡ラヤンラヤン➡レンバン島に留め置かれ
21年の7月1日に広島大竹港に上陸復員と記されている。

父は81歳で亡くなるまで、戦時中のことはほとんど話さず、
母から間接的に、断片的に話されたのを記憶している。
戦後警察予備隊が作られるとき、誘いがあったけど断ったとか
俺の世代がいなくなったら戦争をまたするのではないかとか
父の遺品として、2度と戦争などしないように、軍帽とかゲートル、勲章とか捨てずにしまっている

今生きている、戦争を経験した人にはもっとその当時のことを話して欲しいものだ。
戦争は外部からもたらさられる、われわれ庶民から離れたところで「主権は支配者にあり」
特権階級の生命と財産を守らされる庶民、
特に世界の憲兵としてあちこちで戦闘を繰り返しているアメリカに従うようでは
戦争を呼び込むようなものと考える。

戦後70年もたつのに、未だに日本に外国軍が駐留し、沖縄もアメリカから解放されていない
戦後80年には「主権在民として」この状態を総決算したいものだ。

太平洋戦争中に戦争に反対した人はいますか?
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長沼のはす祭り

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8月の2日伊豆沼のはす祭りに行ってきました。 船着き場は2か所あり、内沼と長沼で内沼は有名な為か大変混雑しているようでした。(10時ころ) 私たち二人は早くに出発し、長沼に9時到着、日曜なのに並ばず乗船できました。
 時間的に10分くらい、料金700円、蓮の花を十分に堪能できました。
船頭さんの話では今日までが花の見ごろとして最高ではないか、気温が上がれば上がるほど花は萎れていくとのこと。

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動画も撮影したので編集したら追加して載せたいと考えています。

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還暦はとうに過ぎた。したいことは多いが体力がついていかない
自由に空を飛びまわれるなら、行きたいところはまだまだある

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